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OJAS インタビュー 
ギフトと歩む人たち 

ニューヨークでインタビューした魅力的な日本人女性たちと出会ってください。

彼女たちの共通点、それは、

「ギフトを使って自分を最大限に活かして生きている」。

ギフトを使う、とはダルマに生きること。

ギフトを使う生き方が、OJASという’ひとの輝き’につながっていきます。

石亀メイコ
霊能者

裏庭からの白い日差しがあふれるダイニングルーム。見るからに、見えるもの以上のものを見ている大きな目が、わたしを歓迎してくれている。

石亀メイコさん、青森出身の霊能者である。

 

物心ついた頃にはすでに、小さな指であらぬ方向を指し、『そこにいる人、だあれ?』と言っていた。家を訪ねてきた人に対しても、『あのおじさんのいうことを聞いちゃダメよ』と、詐欺師から大人を守るようなこともしていた。

 

「そしたらわたしのひいおばあちゃんが、この子には普通の女性の人生を歩ませたい、そういう力は大きくなったら消えるものだろうし、と言い出したそうで、おばあちゃんもお母さんもそう願ったんです」

 

「けど、大人になっても消えませんでしたね」

 

メイコさんはカラカラッと笑う。

誰もいるはずのない寝室で人の声が聞こえたり、部屋の中をドレスを着た人が横切って行ったりする現象は日常。それがだれなのか、なんなのかを優しい母親に聞いても、目に見えないものは見えていない彼女はメイコさんに返事をすることができない。いつも困ったように言葉を濁すその雰囲気から、幼いメイコさんもだんだんと、自分が見ているものは他の人は見ていないもの、口にしてはいけないものだということを察していったという。

 

小学生のある日、家にあった「家庭の医学」を開くと「分裂症」のページに目が止まった。自分に近かった。自分の症状はもっと激しい。

 

「これは言っちゃダメだ、あの病院に入院させられる」

 

市内で有名な精神病院を恐れた。

それでも高校生くらいになると、少しずつ自分を出せる方法を見つけていった。ぎこちないながらもクラスメートを真似して典型的な女子高生をしつつ、

 

「◯◯ちゃんって、白い象って感じだよね」

 

と、言ってみたりした。メイコさんにはほんとうに見えている、白い象のことだった。クラスメートたちはキャッキャと盛り上がり、メイコさんを「不思議ちゃん」として受け入れてゆき、メイコさん自身も、

 

「そうか、わたしは不思議ちゃんか」

 

と、みんなに見えないものを見ている自分を「不思議ちゃん」という一つのタイプとして理解した。

だが、なぜ自分だけに見えて他の人には見えないのか、その答えは相変わらずわからなかった。

 

当時は「個性」「多様性」が世の中で市民権を得ていなかったし、協調性が大切だった日本の大家族において、メイコさんは「普通の幸せな人生」を願ってくれる家族に、こころの内を打ち明けることはしなかった。きっと叫びたかっただろう。他の人たちとはちがう自分のことを助けて欲しかっただろう。

 

自分はおかしいのではという不安や、本当の自分をシェアできない孤独感は、積もりに積もっていた。

進学先としてアメリカを選んだあとも

希望して渡米したあとも、生きるのは簡単ではなかった。人付き合いの方法がわからず孤立した。他の人たちのように要領よく、決められた日常をこなせない自分を自分も持て余していた。いつも周囲になんとなく便利に扱われていたが、そんなものだと思っていた。男性に好意を持たれると、「え、わたしですか!?なぜ?」とわけがわからない。女性としても人としても、自分の価値を見出せていなかったのだ。「メイコがいるだけでいいんだよ」と教えてくれる友人や、大切に思ってくれるボーイフレンドができてもなお、自分を罰していた。存在を罰するために摂食障害をも発症していた。

 

「カラダとこころが分離していましたから」

 

20代、自己肯定が難しい状態に陥っていたのだ。

普通になりたい、自分なんて消えてしまえ、と長い間苦しんできた彼女はニューヨークの日本人スピリチュアル/サイキックコミュニティーに顔を出すようになる。ブレスワークやレイキ、バックフラワーレメディーなどを試してゆき、

 

「魔女狩り、巫女狩り、火炙りになった経験などを思い出し、過去世の経験を受け入れ、癒していきました」。

 

ブレスワークでは生まれる時の追体験で暴れ、セラピストに怪我を負わせたという。

 

「やっぱりイヤだー、生まれたくない、やっちまったー!って思い出したんです。笑。」「生まれる前は、この人生いろいろ盛りだくさん、楽しそう〜!って思ったんですけどね」

ヒーリングを続ける中で、「サイキック力を持っている自分は病気なわけではないんだ、このままの自分で大丈夫なんだ」という安心を得ていった。そしてここから、なんとか一般人として生きていけないかと、模索しはじめることができるようになった。それまでのように閉塞感からではなく、肯定感で動き始めるのである。

しかしここはニューヨーク。何もかもがチャレンジングなサバイバルアイランド。ビザ問題、人間関係、男女関係、何一つすんなりいくものはない。メイコさんが良かれと思って選ぶものには常にストラグルがついて回った。そしてついに、

 

「生きていてもしょうがない。生きている資格もない、かといって死ぬ勇気もない、自分は役立たず」

 

と、いう極限まで思い詰め、禅寺へ行くことにした。

 

「あるいは尼さんになろうかな、と」

禅寺にて、「オレンジ縞ネコのチビが」

市内から車で3時間の山中に、大菩薩禅寺金剛寺という臨済宗のお寺がある。大陸の強い陽を受け高々と成長した樹々の中を、小川に沿って登ってゆく。浄化力が強い土地。めいこさんはこの寺に留まった。ハイパーに偏りがちになる都会生活をひとまず抜け、だれとも会話することなく、坐禅を組み続けた。老師と問答する以外はひたすら自分と向き合う日々を過ごした。

 

ある日の坐禅呼吸法の練習中のこと。

いつものように呼吸音以外聞こえない、呼吸のみを感じ、呼吸に溶けていた…

 

「気づくと、イーストヴィレッジに住んでいる時にレスキューして飼っていたネコがアプローチしてきてくれて、なぜあのタイミングでわたしの前に現れ、一緒に過ごすことになったのか、その経緯を教えてくれたんです」

 

オレンジ縞ネコのチビとのコンタクトをきっかけに、今度はメイコさんが、意図的に「見よう」と試みた。それまで避けてきた「見たくないところ」に意識を向け、こちらから近づいていってみたのだ。そして何度か試しているうちに、自分が亡くなった人とコミュニケーションが取れることを知った。その感覚を掴んだ彼女はついに、宣言した。

 

「わかりました、ありがとうございます。この能力を否定せず使っていきます。どうぞ私の人生を好きなように導いてください」。

 

彼女を覆っていた「普通の幸せな人生を」という家族の想いでできた殻を、めいこさん自身が内側から突いて破った瞬間。ながく秘められてきた、彼女へのギフトが表にはじけ出してきた瞬間である。

ギフトを使って生きる

こうして、封印されてきたメイコさんへのギフトは解放され、霊能力を使って生きてゆくことになった。過去生の影響を浄化し、呼吸法やヨガ、瞑想などを通じて、カラダとこころをゆっくりと一致させていった。その頃から日本の家族もメイコさんの霊能力を認め、理解と信頼を寄せてくれるようになった。亡くなった父親のメッセージを伝えることもある。ビジネス上の相談もされることもある。

メイコさんの宣言が、自分の人生だけではなく家族関係にも新しい流れを生んだのだ。

「わたしはクライアントと霊をつなぐものとして生きていきます。愛と光のメッセージだけを届けさせてください 」by Meiko

メイコさんがクライアントと向き合う上での決め事がある。

  • 許可なく霊視しない

  • 不安を煽って依存させない

  • ”信用してもらえるかどうか”、は考えない、見えたものは伝える

  • 自分の価値観は乗せない

  • 悪魔祓い的なことは引き受けない

 

自分とマッチしないエネルギーとのコンタクトはしないと決めているからか、よく見聞きするおどろおどろしい系の霊とは遭遇しないらしい。

 

「亡くなった方は、『もっと一緒にいたかったね、でも魂の形でずっと一緒にいるからね』『先にいなくなってごめんね、でも自分は辛くないよ、このことを受け入れているんだ。だからもう悲しまないで』って、ご自分が亡くなったことにびっくりはしているけれど、死というもの、肉体のある人生が終わったということを受け入れている方ばかりです。後悔があるとか、恨めしいとかでグルグルしている霊にあったことはないんです」

わたしの疑問を一つ伺ってみた。亡くなった方の存在は、その後どうなるのか。地球時間での「時が経つ」ことは、魂の存在になったあとの存在に変化をもたらすのだろうか。

 

「(肉体を離れ)魂の状態になっても成長していきます、キャラが変わってゆくっていうか…手放しが進んでゆくんです。そして最終的には『光になる』という表現の状態になります。その状態になった方につながると、ただ涙が流れる、こちらもそういう状態になります。ご家族は亡くなった方とのコンタクトをお望みなので、わたしはその光にアクセスしたままで、ご家族の問いかけに答える、翻訳をします」


 

「霊能者であるということが人との距離を作ってしまうものだとずっと思っていたんです。この能力のせいで孤立、隔離しちゃうんだって。でもそうじゃなかった。これがあるからこそ、霊能者であるからこそ人が来てくれてすごくうれしい。肉体のない世界を把握しているからこそ、クライアントとのセッションは対面でやりたい。会ってやりたい。肉体がなくても繋がれることは十分知っているので、実際に会ってつながる醍醐味を味わいたいって思います」


 

いま彼女がワクワクするのは、いつかバケーションで経験したい「阿闍梨修行」を考えるときだという。うん、メイコさんっぽい。楽しそうである。

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